10月19日から25日までの週は、写真25枚と錦絵3枚を新しく載せました。錦絵の3枚は、どれも神奈川の土地の名を題にしたものでした。同じ週の写真とつなぐと、東京の日本橋から箱根の谷までたどれます。西へ向かって、7枚を並べました。
日本橋通
手前に、黒い傘をさした人が大きく写っています。その先では、家並みにはさまれた通りが、まっすぐ奥へ続いていきます。「日本橋通」は、日本橋から延びる東海道が貫いていた町の名です。街道が「大通り」とも呼ばれたことから、この名が付きました。
双筆五十三次 川崎
ここから、題に『双筆五十三次』と付いた錦絵を3枚、写真のあいだに挟みます。まずは川崎です。女の人が両手で持ち上げた布が頭の上いっぱいに広がり、赤い着物の子どもがその人のほうへ手を伸ばします。上の小窓は歌川広重の筆で、白い帆の渡し舟が六郷川を進んでいきます。
横濱港
横浜は、高い所から町を見下ろした写真です。瓦屋根の重なりが、近くの黒から遠くの淡い灰色へと移りながら、地平線まで続きます。港が開かれたのは安政6年(1859年)で、東と西の波止場はこのときつくられました。
相摸鎌倉大佛
黒い木立のあいだで、鎌倉の大仏が明るい空を背に座っています。はじめは大仏殿の中にありましたが、そのお堂が台風や大津波で倒れ、室町時代の末までには、いまのように外に座る姿になりました。丸い頭からなだらかに下がる肩の線まで、くっきりとたどれます。
双筆五十三次 藤沢
藤沢の錦絵では、白地に黒いぶちの大きな動物のかたわらで、照手姫(てるてひめ)が裾をひるがえして歩み出します。江戸時代の藤沢宿では、遊行寺(ゆぎょうじ)へのお参りとあわせて、この寺ゆかりの「小栗判官照手姫」の旧跡が、いちばんの見どころでした。上の松並木の奥には、豆粒ほどの人影が並んでいます。
双筆五十三次 平塚
平塚の錦絵の女の人は、脚の付いた黒い台を手に、頭をそらせて上を向いています。海外の美術館に残る題では、上の景色は馬入川(ばにゅうがわ)の舟渡しで、人物は宿で料理を運ぶ給仕とされています。川崎の六郷川に続いて、ここでも舟で川を渡ります。
相摸箱根宮の下
最後は箱根の宮ノ下です。黒い斜面が両側から谷を挟み、奥では山の稜線が白く霞みます。明治11年(1878年)、外国人を迎える宿として富士屋ホテルがここで開業し、宮ノ下は国際的な観光地らしくなっていきました。
ほかの写真は、新しく載せた古写真や錦絵の一覧にそろっています。選んだ7枚は、街並みや港、寺、風景、人物といった種類ごとのまとめからもたどれます。