赤澤マサ子(岩手)
この写真について
頭から袴の裾まで写った立ち姿です。細かな点の模様の着物に袴(はかま)をはき、腰の前で紐を大きく結んでいます。手には黒っぽい手袋。右の台には白い花のかご。写真の下の名は「赤澤マサ子(岩手)」。『日本美人帖』(明治41年〈1908年〉)から。
明治のはじめ、女学生は着物の着流しで通っていました。椅子に座る授業では裾が乱れるとして、学校で男物の袴をはかせるようになりましたが、反対が多く、明治16年(1883年)にやめています。やがて華族女学校(かぞくじょがっこう)の紫の女袴(おんなばかま)の色を替えてはくようになり、明治30年代の半ばに定着しました。紫は恐れ多い色とされ、海老茶(えびちゃ)色が多かったことから、女学生は紫式部をもじって「海老茶式部」と呼ばれました。
白黒の写真なので袴の色は分からず、写真の人が学生だったかどうかも分かっていません。いまは卒業式の袴姿が、すっかりおなじみです。
出典入りで
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写真の下に帯を足し、出典と「3rd-Party.jp」を入れて保存します。
写真には重ねません。
- 資料名
- 『日本美人帖』(明治41年)
- 所蔵
- 国立国会図書館
- 使える根拠
- 著作権の保護期間満了(パブリックドメイン)
- 元の資料
- 国立国会図書館デジタルコレクションで見る
- 撮影時期
- 現在から118年以上前
- 掲載日
- 更新日