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出典:国立国会図書館『京都名勝』「嵐山保津川」出典入りで保存する
嵐山保津川の古写真(京都府・京都、明治40年7月)

出典:国立国会図書館『京都名勝』「嵐山保津川」出典入りで保存する

嵐山保津川

京都府・京都・明治40年7月

この写真について

嵐山の上流、保津川(ほづがわ)の岩の多い急流を舟が下っていく様子を写した写真です。『京都名勝』(明治40年、1907年)に収められ、題は「嵐山保津川」、英語では「The Rapids of Hozu」(保津の急流)と刷られています。

保津川は、亀岡から嵐山までの桂川の呼び名です。古くから丹波の木材を筏で運ぶ川でしたが、慶長11年(1606年)、京都の豪商の角倉了以が岩を砕き、浅瀬を深くして、舟が通れるようにしました。それからは米や麦、炭なども高瀬舟で京都へ運ばれるようになりました。明治28年(1895年)ごろには、観光客を乗せた舟下りも始まりました。夏目漱石が小説『虞美人草』で保津川を描いたのは、この写真帖と同じ明治40年のことです。

荷を運ぶ舟は、鉄道やトラックに押されて昭和23年(1948年)ごろまでに姿を消し、いまは観光の「保津川下り」が続いています。亀岡から嵐山まで約16キロメートルを、船頭のあやつる舟で下ります。

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資料名
『京都名勝』(明治40年7月)
所蔵
国立国会図書館
使える根拠
著作権の保護期間満了(パブリックドメイン)
元の資料
国立国会図書館デジタルコレクションで見る 
撮影時期
現在から119年以上前
掲載日

写っているものと資料名には、手を加えていません。当時の表現について画像の整え方

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