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出典:国立国会図書館『京都名所帖』「大德寺」出典入りで保存する
大德寺の古写真(京都府・大徳寺、明治40年6月)

出典:国立国会図書館『京都名所帖』「大德寺」出典入りで保存する

大德寺

京都府・大徳寺・明治40年6月

この写真について

京都市北区紫野の大徳寺(だいとくじ)で、お堂とそれを囲む木々を写した写真です。明治40年(1907年)6月に京都市参事会が出した写真帖『京都名所帖』に収められています。

大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山で、鎌倉時代の終わりに宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が建てた小さな庵に始まります。応仁の乱でお堂を失いましたが、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が堺の商人の力を借りて立て直しました。天正10年(1582年)には、豊臣秀吉がここで織田信長の葬儀を盛大に営んでいます。天正17年(1589年)には千利休が三門の上の階を仕上げました。そこに置かれた利休の像が、秀吉の怒りを買ったといわれます。

いまも24の塔頭(たっちゅう、大きな寺の中の小さな寺)を持ち、唐門と方丈は国宝に指定されています。塔頭の多くはふだん公開されていませんが、いくつかは庭を見ることができます。

ことば帳

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資料名
『京都名所帖』(明治40年6月)
所蔵
国立国会図書館
使える根拠
著作権の保護期間満了(パブリックドメイン)
元の資料
国立国会図書館デジタルコレクションで見る 
撮影時期
現在から119年以上前
掲載日

写っているものと資料名には、手を加えていません。当時の表現について画像の整え方

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