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ことば帳

ことば帳

絵と写真

錦絵(にしきえ)

錦絵は、色ごとの版木で重ねて刷った、色あざやかな木版画です。浮世絵の版画の多くがこれにあたります。

明和2年(1765年)ごろ、鈴木春信らの絵暦をきっかけに生まれました。錦の織物のように美しいことから、この名が付きました。絵師が下絵を描き、彫師(ほりし)が色ごとの版木を彫り、摺師(すりし)が刷る分業で作られ、版元(はんもと)が売り出しました。明治にも、西洋風の新しい文物が描かれました。明治6年(1873年)の錦絵には、汽車を待つ着物の人とドレスの人が、同じホームに並んでいます。

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揃物(そろいもの)

揃物は、1つのテーマで何枚もの図を描いた、ひと続きの錦絵です。いまでいうシリーズです。

明治8年(1875年)の『東海名所改正道中記』は、三代目歌川広重が描いた、日本橋から京都までの59枚に目録を加えた60枚の揃物です。宿場のほか、そのあたりの名所も描かれ、電信局や魚市場の絵もあります。その目録の1枚には、宿場の名を書いた看板や札が、店の軒先にすき間なく下がっています。『浪花百景』は、大坂の景色100枚を3人の絵師が描き分けた揃物です。

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3枚続き(さんまいつづき)

3枚続きは、横に並べると1つの大きな絵になる、3枚1組の錦絵です。広い画面に大勢の人を描けます。

錦絵の大判(おおばん)という大きさは、約39×27センチです。大きな景色や大勢の人は、大判を2枚、3枚とつないで描かれました。このサイトにある明治の鉄道の錦絵も、多くが3枚続きで、駅舎、ホーム、走る汽車を1つの画面に収めています。『六郷蒸氣車鉄道之圖』では、人力車ごと客を乗せた渡し舟が、真ん中と右の2枚にまたがって描かれています。

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写真帖(しゃしんちょう)

写真帖は、何枚もの写真を1冊にまとめておく帳面です。いまのアルバムにあたります。

「写真帳」とも書き、どちらも「しゃしんちょう」と読みます。辞典では、写真を整理して残すために、貼ったり挟んだりする帳面と説明されています。このサイトでは、明治42年(1909年)の『京都名勝帖』や、明治36年(1903年)の『京都大阪今様美人風俗』などから写真を選んでいます。『京都名勝帖』では、写真の下に日本語と英語で名前が刷られています。

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コロタイプ

コロタイプは、ゼラチンを塗ったガラスの版で刷る印刷です。写真の濃淡を、なめらかなまま紙に写せます。

ふつうの印刷は、写真の濃淡を網点(あみてん)という細かな点の大小で表します。コロタイプは網点を使わないので、写真に近い仕上がりになります。刷れる数には限りがあり、名画や書画の複製に向いています。日本では明治20年代のはじめに、写真師の小川一真(おがわ かずまさ)が初めてコロタイプの工場を開きました。版のゼラチンの膜には、ちりめんのような細かなしわができます。

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街道と旅

東海道五十三次(とうかいどう ごじゅうさんつぎ)

東海道五十三次は、江戸の日本橋から京都の三条大橋までの、東海道の53の宿場のことです。

「次(つぎ)」は宿場のことで、日本橋と三条大橋のあいだに53の宿場があったので、こう呼ばれます。初代歌川広重(うたがわ ひろしげ)が描いた錦絵の揃物(そろいもの)は、とくによく知られています。明治8年(1875年)には、三代目広重が電信局や洋傘の人も描き込んだ『東海名所改正道中記』を出しています。静岡県の袋井宿は、江戸から数えても京から数えても27番目で、五十三次のちょうど真ん中にあたります。

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宿場(しゅくば)

宿場は、街道ぞいに置かれた町です。旅人が泊まり、荷物を運ぶ人や馬を、ここで次の人や馬に替えました。

宿場には、大名などが泊まる本陣(ほんじん)や、ふつうの旅人が泊まる旅籠(はたご)が並びました。次の宿場まで荷物を運ぶ人足(にんそく。荷運びの働き手)と馬を、決まった数だけ用意しておくのも、宿場の務めでした。東海道では、人足100人と馬100頭です。東海道でいちばん小さな宿場とされる鞠子(まりこ)の名物は、とろろ汁でした。

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本陣(ほんじん)

本陣は、宿場に置かれた、大名などが泊まるための宿です。ふつうの旅人は旅籠に泊まりました。

本陣の予備の宿として、脇本陣(わきほんじん)も置かれました。東海道で本陣の建物が残るのは、二川(ふたがわ)宿と草津宿だけです。二川の本陣は、資料館として公開されています。脇本陣の建物は、舞坂(まいさか)宿に旧東海道でただひとつ残ります。藤川宿には、脇本陣の跡の門と、本陣の跡の石垣がいまも残っています。

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旅籠(はたご)

旅籠は、宿場にあった、ふつうの旅人が泊まる宿屋です。大名などが泊まる本陣とは分かれていました。

旅籠は食事付きの宿で、庶民のほか武家も泊まりました。日本橋から5番目の戸塚宿は、朝に江戸を発った旅人が最初に泊まる宿場として、にぎわいました。赤坂宿には、江戸時代の旅籠「鯉屋」の建物が「大橋屋」として残ります。文化6年(1809年)の大火のあとに建てられたとみられ、豊川市が修理して、いまは無料で公開しています。

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立場(たてば)

立場は、宿場と宿場のあいだにあった休み所です。茶屋が並び、旅人や駕籠(かご)かきがひと息つきました。

人足や駕籠かきが杖を立てて休んだので「立場」という、といわれます。宿場を守るため、立場で泊まることは許されませんでした。明治になると、人力車や馬車の発着所も立場と呼ばれました。浜松の運河の船着き場を描いた錦絵には、店の幕に「立場」の字が見えます。程ヶ谷(ほどがや)と戸塚のあいだの境木(さかいぎ)の立場では、ぼた餅が名物でした。

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渡し(わたし)

渡しは、橋のない川や海を、舟で人や荷物を向こう岸へ運んだところです。舟は渡し舟といいます。

江戸時代の東海道には、橋の架かっていない大きな川がいくつもありました。大井川のように人に担がれて渡る「川越し」の川もあれば、富士川のように渡し舟で渡る川もありました。宮(いまの名古屋市熱田区)から桑名までは、海の上を舟で渡る「七里の渡し」です。長く渡し舟で越えた六郷川にも、明治5年(1872年)の鉄道の開業に合わせて汽車の橋が、明治7年(1874年)に人の通る橋が架かりました。

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停車場(ていしゃば)

停車場は、駅の古い呼び名です。明治のはじめは「ステーション」と呼ばれ、のちに停車場が広まりました。

明治5年(1872年)、新橋と横浜のあいだに日本で初めての鉄道が開業しました。東京側の駅が新橋停車場で、錦絵の題では「新橋ステンシヨン」とも書かれています。「停車場」はいまも鉄道の法令の言葉で、「〇〇停車場線」という県道の名にも残っています。新橋停車場は、東京駅ができた大正3年(1914年)に汐留駅と名を変えました。いまは開業のころの駅舎の外観を再現した「旧新橋停車場」が建っています。

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町と暮らし

江戸(えど)

江戸は、いまの東京の中心にあたる町の、明治より前の呼び名です。幕府があった時代を江戸時代と呼びます。

慶応(けいおう)4年(1868年)7月17日、江戸は東京と名を改めました。これに対して、京都を「西京(さいきょう)」と呼ぶこともありました。大阪は、江戸時代には「大坂」と書かれ、「大阪」の字が広く使われるようになったのは明治10年(1877年)前後です。このサイトでも、江戸時代の話には「大坂」を使っています。三代目広重の東海道の揃物では、最後の三条大橋の札に「西京」の字が見えます。

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新地(しんち)

新地は、新しく開かれた土地や町のことです。大坂では、そこにできた遊里を指すこともありました。

江戸時代の大坂では、川の改修や埋め立てでできた新しい町が「〇〇新地」と呼ばれました。北新地(きたしんち)は、元禄元年(1688年)に開かれた堂島新地と、宝永5年(1708年)に開かれた曾根崎新地(そねざきしんち)がもとになっています。明治45年(1912年)に曽根崎川が埋め立てられ、2つの新地はいまの北新地になりました。いまも北区の町名に「曽根崎新地」が残ります。

花街(かがい)

花街は、かつて遊女屋や芸者屋などが集まった町のことです。いまの京都では、舞妓や芸妓のいる町です。

「はなまち」とも読みます。写真の下には「京都祇園」「大阪南地(なんち)」「北新地」のように、花街の名が添えられたものがあります。大阪の南地は、宗右衛門町(そうえもんちょう)など5つの町をあわせた花街でした。京都の祇園では、明治5年(1872年)の京都博覧会の余興から、春の踊りの会「都をどり」が始まりました。いまも毎年4月、「ヨーイヤサー」の掛け声で幕が開きます。

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お茶屋と置屋(おちゃや・おきや)

お茶屋は、客が芸妓を呼んで宴を開く店です。置屋は、芸妓や舞妓が所属する家のことです。

芸妓は置屋から、客の待つお茶屋や料亭へ出向きます。お茶屋は座敷を持ち、客の求めに応じて芸妓や酒、料理を手配します。置屋は自分の家には客を上げず、関西では「屋形(やかた)」とも呼ばれました。北新地の銘板に記された町の歴史によると、大正7年(1918年)の北新地には、芸妓置屋が11軒、貸席が153軒あったそうです。

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芸妓と舞妓(げいこ(げいぎ)・まいこ)

芸妓は唄や踊り、三味線で宴の席をもてなす人、舞妓は芸妓になる前の、修業中の若い人です。

京都では芸妓を「げいこ」と呼び、東京などでは「芸者」の呼び方が広く使われてきました。舞妓の時期を終えて芸妓になることを、京都では「衿替(えりかえ)」といいます。舞妓は着物の袖が長く、帯を長く垂らした「だらりの帯」で、見た目でも芸妓と見分けられます。京都の舞妓は、季節の花をかたどった花簪(はなかんざし)を挿し、月ごとに花が替わります。

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遊廓(ゆうかく)

遊廓は、遊女屋を集め、囲いで区切った町です。豊臣秀吉の時代から、昭和30年代のはじめまで続きました。

遊廓は「遊郭」とも書きます。遊女屋は、遊女を抱えて客を遊ばせた店です。「廓(くるわ)」は、もとは城や砦のまわりの囲いのことです。遊廓は幕府などの許しを得て開かれ、江戸の吉原、京都の島原、大坂の新町(しんまち)がよく知られました。売春防止法が施行された昭和30年代のはじめに、遊廓はなくなりました。錦絵『浪花百景』の「新町廓中 九軒夜櫻」には、新町の九軒町の夜桜が描かれています。

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日本髪と髷(にほんがみ・まげ)

日本髪は、髪油で形を整えて結い上げる、昔からの女性の髪型です。髷は、髪を束ねてまとめた部分です。

日本髪は、おおまかに前髪、横に張り出した「鬢(びん)」、後ろに張り出した「髱(たぼ)」、束ねて折り返した「髷」でできています。島田髷や桃割れなど、髪型ごとに名がありました。明治4年(1871年)、男の人が髷(ちょんまげ)を結わなくてよいとする布告が出て、髷を落とした「ザンギリ頭」が広がります。明治8年(1875年)の日本橋の錦絵には、ザンギリ頭に袴の人と、髷を結った人が同じ橋を渡っています。

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束髪(そくはつ)

束髪は、西洋の髪型をもとに明治に生まれた、髪の結い方です。日本髪と並んで広まりました。

明治18年(1885年)、医師と経済記者が「婦人束髪会」をつくり、油で固める日本髪は不便で不衛生だとして、束髪をすすめました。同じ年の錦絵『大日本婦人束髪図解』は、「上げ巻」「下げ巻」「イギリス結び」「マガレイト」の束髪を絵で示しています。着物の暮らしでは日本髪も結われ続け、束髪とともに昭和10年代ごろまで続きました。

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単位と年

里(り)

里は、昔の日本で使われた道のりの単位です。1里は36町にあたり、約3.9キロです。

錦絵の題には「小田原迄四里」のように、次の宿場までの道のりが里で書かれています。明治24年(1891年)の度量衡法(どりょうこうほう。長さや重さの単位を決めた法律)で尺の長さが決まり、1里は約3.927キロになりました。江戸時代の街道には1里ごとに土を盛った一里塚(いちりづか)が築かれ、旅人の目印になりました。三重県の石薬師(いしやくし)の宿場の跡には、いまも一里塚の跡が残っています。

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町・丁(ちょう)

町は、里より短い道のりの単位です。「丁」とも書き、1町は約109メートル、36町で1里になります。

錦絵の題の「赤坂迄十六丁」は、次の赤坂の宿場まで16町、約1.7キロという意味です。1町は60間(けん)で、1間はおよそ1.8メートルです。町は田畑の広さを表す単位にも使われました。町の名の「町」(宗右衛門町など)は、別の意味です。御油(ごゆ)から赤坂までの16町は、東海道の宿場どうしでいちばん短い道のりでした。

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円・銭・厘(えん・せん・りん)

円・銭・厘は、明治に決まったお金の単位です。100銭で1円、10厘で1銭になります。

円・銭・厘は、明治4年(1871年)の新貨条例で決まりました。明治5年(1872年)に新橋と横浜のあいだに鉄道が開業したときの運賃は、上等1円12銭5厘、中等75銭、下等37銭5厘でした。銭と厘の硬貨や紙幣は、昭和28年(1953年)の終わりで使えなくなりました。それでも銭は、いまも為替の値段に残っていて、ニュースでは「1ドル150円25銭」のように読み上げられます。

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元号・和暦(げんごう・われき)

元号は「明治」「大正」のような年の呼び名です。和暦は日本の暦で、元号で表す年のことも指します。

明治より前は、災いや吉事などのたびに元号を改め、1人の天皇のあいだに何度も変わりました。明治から、天皇1代に元号1つと決まります。暦も切り替わり、明治5年(1872年)の12月3日が明治6年1月1日になりました。そのため、明治5年までの和暦の日付は、西暦と月日がずれます。新橋・横浜間の鉄道が開業した明治5年9月12日は西暦で1872年10月14日で、いまの「鉄道の日」はこちらの日付です。

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