3rd-Party.jp

ネットの情報を、整えて使いやすく。

利用規約 3rd-Party.jp について
表示の言語:日本語
出典:国立国会図書館『改正五十三驛』「小夜の中山 日坂 かけ川迄一り廿五丁」出典入りで保存する
小夜の中山 日坂 かけ川迄一り廿五丁の錦絵(静岡県・日坂、明治8年)

出典:国立国会図書館『改正五十三驛』「小夜の中山 日坂 かけ川迄一り廿五丁」出典入りで保存する

小夜の中山 日坂 かけ川迄一り廿五丁

静岡県・日坂・明治8年

この錦絵について

松の立つ尾根に沿って、坂道が曲がりながら上っていきます。道には旅人が連なり、手前のかやぶきの茶店の前には、大きな丸い石がごろりと転がっています。三代目歌川広重(うたがわ ひろしげ)が明治の東海道を描き直した『東海名所改正道中記』(明治8年〈1875年〉、国立国会図書館での題は『改正五十三驛』)から、日坂(にっさか)の場面です。

小夜の中山(さよのなかやま)は、金谷宿と日坂宿のあいだの峠で、箱根・鈴鹿と並ぶ東海道の難所とされました。峠には、殺された身重の女の霊が石に乗り移り、夜ごと泣いたという「夜泣き石」の伝説があります。石はもともと峠道の真ん中にありましたが、明治天皇がこの道を通ることになったのを機に茶店へ、さらに寺の境内へと移され、その後も博覧会に運び出されるなどして、いまの場所に落ち着きました。

いまは、国道1号の小夜の中山トンネルの手前の道ばたに置かれています。伝説で生まれた子を寺の和尚が飴で育てたことにちなむ「子育て飴」も、峠の名物です。

ことば帳

出典入りで

錦絵を保存する

錦絵の下に帯を足し、出典と「3rd-Party.jp」を入れて保存します。
錦絵には重ねません。

利用規約を読むプライバシーポリシーを読む

この錦絵をSNSに投稿する

資料名
『改正五十三驛』(明治8年)
所蔵
国立国会図書館
使える根拠
著作権の保護期間満了(パブリックドメイン)
元の資料
国立国会図書館デジタルコレクションで見る 
制作時期
現在から151年以上前
掲載日
更新日

描かれているものと資料名には、手を加えていません。当時の表現について画像の整え方

この場所をもっと知る

いまの日坂を地図で

押すと Google マップを読み込みます。 Google マップで開く 

上部へ戻る